「奴隷労働に耐えて偉い」より「奴隷から抜け出して凄い」と言われたい

絶対に奴隷からは抜け出したほうが上だよね?
 
 
 
どうも!社畜を辞めてPCの前でお金を稼ぐAtusiです!
 
 
世間では社畜の身分で奴隷労働に耐えているやつが偉いという風潮がありますが、私は全然微塵にも思わないです
 
知り合いの○○が月10万も給料が出ない所でサビ残もこなして偉いとか言ってるのを見ると、さっさと転職すればいいのにという気持ちと、褒めているやつがバカにしか見えません
 
 
特に団塊の世代くらいなんかは就職して社畜化することに関して神聖化してるんじゃないかってくらいですが、別に社畜って偉くもなんとも無いんです
 
メリットと言えばクレジットカードが作りやすい事くらいじゃないでしょうか?
 
 
 
私はそんな「奴隷労働に耐えて偉い」と褒められるよりは「奴隷から抜け出すなんて凄い」って褒められたいし、実際後者のほうが上だと本気で思っています
 
今回は社畜に対して何か宗教の神話並みに崇拝している価値観をぶち壊すような記事を書いてみようかと
 
 



社畜って思考停止の極み

社畜で居ると、特に頭って使わないなって感じます
 
確かに仕事を覚えたりすることについては多少使ったりする兎でしょうけど、そういう意味では無いんですよ
 
 
一人で稼ぐとなるとあれこれ何でも一人でしなくてはいけませんし、気は社畜をやっているよりもずっと楽だけど頭は四六時中いつでもフル回転
 
 
社畜は考えることを辞めても目の前の事さえやっていればどうにかなるでしょうけど、社畜を抜ければ沢山考えることが存在します
 

頭を使わないからこそ洗脳されても気が付かずに過ごせるんでしょうけどね 
 
だからこそ都合よく利用されていることに疑問を持ったりすることが一切ない

  

仮に偉いと褒められて「だから何?」としか思わない

仮に辛い労働環境で僅かなお金で苦労をして褒められたとしても、そこからつながる事って何も無いんですよね
 
社畜をやっていると偉いとか褒められる事はあるかもしれませんが、そこで終わるのです
 
 
仮に褒められた事で1000万円プレゼント!とかなら張り切る気も起きるのですが、実際はそんなことはほぼ間違いなく無いでしょう
 
 
そうなってくると褒められたとしても「だから何になるの?」で終わってしまうんですよね
  
 

社畜の身分って都合よく使われてるだけだよね

社畜を10年ほどやって思ったのは、社畜ってのはただ単に都合よく使われているだけ
 
過酷な労働環境で、生活保護を下回り最低限以下の賃金を与えても、適当に褒めておけば思考停止して勝手に働くんですからね
 
 
考えれば考えるほど、社畜が偉いって価値観を作った人間って、洗脳する側が作った価値観じゃないかなとすら思えてくるんですよ
 
「苦労は買ってでもしろ!」って言葉とよく似てるなって感じますね
 
 
 
そう考えると社畜が偉いって価値観の化けの皮が剥がれてくると思いませんか?
  
 

終わりに・社畜は偉くもなんともない

ってな訳で社畜なんてものは続けていたとしても別に偉くもなんとも無いんですよ
 
関西弁で「しんどい」って意味で使う「えらい」って言葉になら該当するかもしれませんけどねw
 
そんな奴隷労働に耐えて偉そうにしてるやつを見ると、とっとと転職してしまえば?っていつも思いますね
 
 
それよりも思考停止から抜け出すために頭と体を使って脱社畜を目指して、会社に依存をしない方が私はずっと偉い存在だと断言しますよ
 
社畜を続けてるってのは言い換えれば会社に命綱握られてぶら下がっているようなものですからね
 
そんな命綱が信用できない状況なら、体をガッチガチに鍛えて命綱が不要になったほうがずっといいですから



 
 

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