責任感とかあっても全然得しないんですよね
どうも!数々のブラック企業を転々としてきた経験を持つAtusiです!
労働に関していつもみたいにニュースを見ていると
「会社の方針はコストカット。保育士も子どもも、きちんと処遇されていなかった」
保育所を運営する大手の株式会社に就職した足立恭子さん(仮名、27歳)は、「大手という看板に騙された」と、すぐに後悔した。
待遇は思いのほか悪かった。3年目でも月給は手取り17万円。ボーナスは年間で基本給の0.5カ月分しか支払われなかった。退職金制度もない。毎日、約2時間は残業したが、残業代は月に5時間分までしか申請できなかった。年収は250万円程度と薄給。
3年目で手取り月17万円…“ブラック保育所”急増 背景に何が?〈AERA〉リンク先の文章はもっと長いのですが、簡単に言ってしまえば薄給激務でサビ残だらけという内容なんですよね
実際世の中にはこういう人って多いと思うんですが
「給料が無いようなブラックなら仕事なんて投げ出してしまえばいいじゃん」
って感じるんですよね
しかしこういう事を言うとやたらと
「そんな人は責任感が無いから社会人として失格」
とかレッテルを張りたがるバカがどこからともなくたくさん湧いてくるんですよね
今でこそこういう労働に関して滅茶苦茶意識の低い記事ばかり書いていますが、全ては10年近くブラック企業で社畜をやらされた経験からそういう風になってしまいました
その時の経験で、社会人には責任感が必要とか言われた事がありますが、アレは嘘だなって感じましたね
確かに周囲からは責任感とか求められるのですが、本人からしてみれば責任感をすべて放り投げて無責任くらいがちょうどいいんですよ
今回は仕事がどうして無責任だと自分自身が得するのか?ということについて経験談から記事を書いていこうかと!
別に仕事が終わらなくても困るのは自分じゃない
自営業とかフリーランスであれば自分の仕事を終わらさないと報酬が入らないので必死こいてやろうとするのはわかるのですが、少なくとも就職して仕事ができなかったとしても困るのって自分じゃないんです
困るのは上司だったり会社だったりが困るだけで、よく考えたら仕事が終わらなかったとしても特に自分に不都合というのは存在しないんですよ
仕事ができなくても時間で拘束されていればお給料は出るわけですし、時間内は手を動かしても仕事が完遂しないのは明らかに上司や会社といった仕事が完遂してないと困る人達なのです
だからこそ上は適切に仕事を割り振ったりマネジメントしたりするんですよね
やたらと責任感という言葉を使ってくる物事って、少し立ち止まって考えたら全然自分の事じゃないので他人事で良いんですよ
大体が上司や会社のマネジメント力不足を責任転換して個人の責任感という形に置き換えて責めているだけなんです
雇われの仕事であれば完遂しなくても困るのは自分じゃ無いということが分かれば、その時点で責任感というのを持つ必要はないということが分かりますね
自分がやらなくてもどうにかなるように組織はなっている
そして仕事というのは不思議なもので、自分ができなかったとしても完遂されないと困る人達が必死こいてどうにかしてしまいますので、極端な話をいってしまえば自分なんて居なくても職場なんてどうにでもなってしまうのです
私が見てきた会社だと、労働者どころか社長クラスが数日居なくても会社がどうにかなるケースってありましたし、むしろ上の人間が居ないほうが仕事が捗るなんてこともありました
そんなわけで別に自分が何もしなくてもどうとでもなってしまうのが仕事なので、そこに変に自分が背負い込んで責任感なんてものを感じる必要はありません
自分が居なくてもどうにでもなってしまう上に、仕事ができなくても自分は困らないとなると責任感の意味の無さがよく分かりますね
あっても自分を追い詰めるだけで良いことがない
結局の所、責任感というものがあってもメリットが無いどころか、デメリットしか無いんですよね
その内の大きな一つが、今回のニュースのようにサビ残で賃金が出ないのに
「お給料が無くても仕事が終わってないからやらないといけない・・・」
なんて思い込んで自分を追い詰めてしまうんですよね
昔の私はともかく、今の私であれば給料が出ないような仕事はすでに仕事でもなんでもないので後のことがどうなろうと知ったこっちゃないので投げ出します
それで損害が出たとしても別に自分は困りませんし、やるべきことだけさっさとやってしまったら後は必要最小限だけで良いのです
下手に責任感なんぞあるから必要以上にいいように都合よく利用されるだけで自分自身に何も得ってのはないのです
責任感ある人ほど精神疾患になったりストレス貯めてしまったりして、逆に責任感ない人ほど長生きしてのびのびしていますからね
私も就職してた時も、今現在個人でやっている時も、会社なりクライアントなりがいい加減になったらこっちも全力で手を抜いて投げ出すようにしていますが、相手がクソなら自分もそれ相応に手を抜いてしまえば良いのです
別にそんな相手に真面目にやってやる必要もありませんし、それで仕事から切られたとしても先にいい加減な事をやっているのは向こうなのでそういう関係であればむしろこっちから切りたいくらいなのでちょうど良いのです
自分を追い詰めることが無いので病まない
仕事に関して無責任になると、自分自身を追い詰めることが無くなるので精神も肉体も病むことはありません
背水の陣とかいって追い込むことで超パワーを発揮するとか説もありますが、あんなもんが実現するのは漫画かアニメの世界くらいで、追い詰めるだけで超パワー出せるなら今頃世の中は超サイヤ人だらけになるんですよ
中にはそういう人も居るでしょうけど、間違いなく凡人な一般人は追い込むと萎縮して身動きが取れなくなるだけなのでのびのびしていたほうが精神衛生上とてもいいんです
私自身も以前は真面目に責任感があったので、自分を追い込むことをしていましたが全く効果がないどころか逆効果にしかなりませんでした・・・
それによって病む寸前まで何度かなりましたが、そういうのに養生するくらいなら最初から病まないほうが間違いなくいいんですよね
責任感とかあるから自分で自分を追い込んで逃げ道を無くして病むことになるので、そうなるくらいなら周囲にどう思われても無責任な方が幸せなんですよ
職場にいる責任を取らない無能上司なんかを見ているとわかりやすいですが、ああいう人種って上司にしたら最低のゴミですが、上司個人は結構幸せそうなところを見ると、責任とは誰かに擦り付けてしまったほうが楽であると断言できますね
仕事を割り振られなくなるので楽できる
社畜をやっていると仕事というのはこなせばこなすほど増えていき、世間でも「仕事の報酬は仕事」なんて言われますね
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最後の会社の社長に「仕事は出来るやつの所にしか行かない」なんてカッコつけて言われてますが、お給料はついてこないし、都合よく人をこき使うだけの言葉だったなと・・・
私自身も仕事を責任感を持って取り組んでいた時期は、どんどん押し付けられる仕事が増えて、だんだんしんどくなっていった時期があったんです
そして徐々に仕事がきつくなり、自分の限界を超えてやらかした事があったのですが、その後は会社からの信用も落ちて仕事が回ってこなくなったのですが、そこから先が楽なんですよね
しかも楽しているのに給料は変わらないという事になっていたのでますますお得感が出て
「このままどころかもっと信用を落としても構わない」
なんて思っていました
そうなった職場では無視されることもありましたが、別に会社の人間なんて関わるつもりも全然ないし、むしろ関わりを向こうから避けてくれる分だけ有り難いんです
なので無責任になったほうが職場での煩わしい人付き合いもかなり減り、同時に給料は頑張っても頑張らなくても変わらない据え置きなので、むしろ行動から見た資金効率も上がって一石二鳥なんです
仕事はやればやるほど損をするという日本の社畜システムなら、逆に仕事を割り振られなければ楽できるという事になってしまうんですよね
頑張って楽できるならともかく、頑張らないほうが楽できるとなればしない理由が本当に無いんです
この事実に気がついたのは社畜時代のかなり後半でしたがもっと早く気がつくべき真実だったな・・・と後悔しています
定時退社や休日出勤の拒否という当たり前のことが行使できる
無駄に責任感がある人間ほど仕事を終わらせるために必死になり、定時を超えても残業したり休日出勤といったことで対応をする人が多いです
それを「社会人として常識」という言葉でブラック企業は押し付けてくることが多いですが、本来であれば仕事が終わらないことは会社が考えるべきであって労働者が考えることではないのです
そのように責任感を捨てることで本来は受けなくていいことを堂々と拒否することができ、当たり前の権利である定時退社や休日といったものが勝ち取ることができるのです
基本的に責任感というのは会社側が不利を押し付けるのをもっともらしいレッテルを張るために作ったものだと考えられますし、そういう枠から抜け出すことで自分自身の損を拒否することができるようになります
責任感を持つことで時給と歩合の悪いとこハイブリットになる
仕事の報酬をもらう方式として
・時間内拘束されて命令されて動く代わりに仕事の出来不出来は問わない時給
・仕事の出来た量で報酬が決まり時間なんか関係ない歩合
という二つの方式があり、どちらも一長一短なんですが時給の仕事で責任感を持つことによって
「時間内拘束されて仕事の出来が一定水準に達してないとただ働きさせられるが収入は低い水準で一定」
という時給の賃金の低さと時間拘束と歩合の仕事が完遂したかどうかというデメリットのみを掛け合わせた状態になるのです
経営者から見れば一方的にデメリットを労働者に押し付けることができるので経営者が得するために責任感を持つことを強要するということが多いのです
責任感が過度にあると
「定時なのに与えられた仕事が終わってないのは自分の仕事が遅いからだから無給でも返上しなくちゃ・・・」
という風になってしまいますからね
歩合であればこれもわからなくもないですが、実際のところは仕事が終わっても「まだ勤務時間が残ってる!」と仕事を押し付けられます
逆はこうやって無償で仕事をさせようとするのであれば仕事が終われば早く帰るのも認めるべきなんですよね
メリットはすべて取り上げられてデメリットだけは押し付けられるということなんです
責任感とは「真面目で素晴らしい事」ではなく「他人の目に怯える弱さ」
この責任感という言葉を聞いていていつも違和感があったのですが、責任感というのは自分にあって得することはなく、押し付ける他人しか得をしません
しかもこの責任感というのがあると真面目だのもてはやされたりしますが、実際に真面目というのは無いほうがいい要素の一つです
真面目な人間は仕事で損ばかり!自己利益の為に捨てるべきクソスキルだ!
過去関連記事
私自身は過去には自他ともに認める真面目でしたが、自分ばかり損をすることを感じてから捨てるようにしました
その結果として他人から嫌われることは増えましたが自分自身は得が増えましたし、また真面目でいることで好かれていた人間には自分に損を押し付けられなくなったことで離れただけの害悪なんでいなくなってすっきりしました
そういう他人からの批判や嫌われるということを恐れ、自分自身の得をとるために動けないというのが責任感の正体であり、他人から見れば利用しやすいだけの存在でしかないのです
そのような意味で責任感があるというのは美徳どころか汚点と言っても過言ではありません
最後はクビになるけど解雇されたほうが得
仕事を無責任にこなしていると最終的に待ち受けるのは解雇でしょう
しかし現代では解雇ってされたほうが旨味があるので、むしろされたらラッキーだと思うべきくらい利点があるんですよ
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雇用保険とかも自分から辞めるよりも早く長く貰えますし、税金や年金関連も優遇措置を受けれるので、見た目以上に得することが多く、最後の会社を解雇されてから随分経過したけど未だに税金関連で恩恵を受けれますからねw
解雇されることを恐れる人がいっぱい居ますが
「そんな恐怖政治を行って統治するような会社に何の未練があるの?」
としか私は思えませんし、それならとっとと解雇されたほうが利点が多いんですよね
無責任になるくらいがちょうど良いと思っていますが、責任感が自然と出るようないい職場であれば尽くすのも悪くないでしょう
しかし、個人にそっぽ向かれるような会社にしがみついてても時間の無駄ですからね
それであればさっさと利点のある会社都合で辞めさせられたほうが得することが多いですし、メリットしか無いのに何を怯える必要があるのかさっぱり理解できませんねw
終わりに・仕事は無責任に転々としたほうが得をする
そういうわけで社畜な仕事は無責任くらいで居るほうが労働者は得します
社会ではやたらと責任感とかを求められる事が多いですが、経営者と労働者の利益というのは絶対にすべて相反する物事ばかりなので、責任感を求めるのは経営者側が得するためであって労働者側の得にはなることは絶対に無いんです
個人で稼ぐならともかく、少なくとも就職してからの責任感というものは労働者にデメリットしか無いので罪悪感と抵抗が最初はあるでしょうけど捨てるべきで、そのうち罪悪感とかも消え失せます
消え失せたから言えることなんですが、今から思えば罪悪感とか抵抗とか何の意味も無い足手まといな感情でしかありませんでしたね
無責任に立ち回ることで他人からあれこれ言われるでしょうけど、そんなものは最初だけなので放っておいたら良いんですよホントに
ああいう忠告とかも「お前のため思って」とか言ってますけど、実際に私の利益になったことはただの一度もありません
押し付けられる側が不快な思いをしているだけで、ただの搾取される側の人間が喚いているだけなので無視して人に仕事を丸投げする勝ち組な立場に行くべきですね
それによって仕事が解雇になったとしても、損することなんて全然ありませんし、次の所でもやる気がでないような職場であれば無責任に立ち回るくらいでちょうど良いんです